地図の絵画について 2026
宮田昌作
地図・すなわち国境による国土の形というのは(日本のような島国は除いて)政治という人為的な形であり、人工衛星の空から見ても自然のなかでは直接に眼にすることはできない。むろん国土の形というのは正しいだろうけれど、同時にそれは、人間社会のさまざまな条件に基づいて地図上で図像化された観念の表象であり、直接に人の眼で見ることができない。
近代に至って人間は、その言語圏、宗教・民族性などの諸条件よって国家という単位による総合的な支配権をつくりあげてきた。むろん長い歴史のなかでは近代の国家観とは異なる統治権や国土の在り方によって、その支配圏の拡張を巡る紛争や戦争がつづき、それらの問題を超える流れのなかで、現代における近代的な民族的国家が形成されてきたといわれている。
けれども、なかには国土という生活圏を持たない、あるいはそれを奪われた人々(民族)という悲劇も存在し、国家そのものの在り方も問われている。国土という単位で地球上の陸地を分割し、そこに主権を置く近代の国家という役割は、世界の現実的な共生のための普遍的な流れなのだろうか。むろん、自由な諸国家が互いの主権を尊重しつつ共存する「平和のための世界連合」という、カントの理念の延長上での現在の国際連合があるのだが、近年ではそれも機能不全に陥っている。そして、21世紀の半ばに差しかかった現在、ふたたび国土に対する紛争や戦争が世界で頻発している。
ところで現在の国境・国土の多くは、その自然条件の他に、歴史上の政治的な力学から生じた分割の結果による形態である。したがって、国土というのは人間の生活基盤を支えるもっとも現実的な領土であると同時に、国土の形状とは人間の意図によって地図の上に図式化された観念上の形でもある。そのように複雑な人為性による国土という形をいったん相対化して見直すために、あえて絵画的表現の素材として取り上げたのだが、そこに具体的な歴史や政治上の意味を込めているわけではない。いいかえれば、それらを左右逆にすることによって、本来の自然界の姿には存在しない「国土の形という人間の観念」に、あらためて眼を向ける契機を提示する試みである。
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